現代の子育ての難しさについて

  藤原元一・佳子・江理子著、やさしい解説「モンテッソーリ教育」の中に、私達が日頃感じている現代の子育ての難しさについて書いてある章がありますので、ご紹介致します。

現代の社会の傾向

 現代の社会のシステムは、便利であるのが特徴です。

 たとえば、ある調査によると、コンビニエンスストアに入店する過半数の人は、計画的に買い物をする必要はなく、何とはなしに店に入り、その時に気づいたものを、また、目に付いたもので欲しかったもの、買っておいてもよいなと考えたものを、無造作に買っていく傾向があるというのです。

 コンビニエンスストアは、POSシステムなどの活用により、マーケティングが十分になされ、高度にプログラム化された流通システムです。顧客の代わりに、何が欲しいかを考えて店頭にものを並べているのです。

 また、買い手の方も要求充足が遅延することはほとんどありません。たとえば、夜中にいなり寿司が欲しいと思えば車でコンビニに行き、何か飲みたくなったときには膨大な数の自動販売機が街中にあり、いつでもどこでも渇きを癒すのに苦労しないようになっています。インスタント食品、レトルト食品、ファーストフードチェーンなどがあり、さらに、クレジットカードなども欲望の即時充足を支援しているのです。

 このような現代のシステムの中で生活する人間は、便利で過保護な環境によって人間の「自律性」を奪われ、それを失いつつあります。

 「感じること」、「待つこと」、「我慢すること」、「計画を立てること」「自発的に何かをすること」、「行動の意味を考えること」など、人間の能力の大切な幾つかは、すでに使わないですむようになっており、失ったものも多いと考えられないでしょうか。

 小林登教授は「現在の小児科学では、先進化、さらに都市化に伴って、それぞれの文化的な要因も絡まって、育児がいつも自然に行なわれるとはかぎらない事例を、臨床の場でしばしば見ている」と述べておられます。

解決のために何が必要なのか

 子育てを通して、親も子も成長することが大切です。さらに人間として自律と「絆」、すなわち人間としての連帯を求めていくことが望まれます。

 社会的なシステムの仕組みを学びその便利さを理解した上で、「活用する」ことによる能力の向上を考えなければならないのです。

 「共感的理解」を高めるために、イマジネーションの能力を磨くこと、相手の身になって感じたり、考えたりできるように努力することが必要でしょう。
曽野綾子は、「虚の空間(現代教育事情)」の中で「教育の視点から社会を考えるとき、そこに見えるのは、「ぽっかり開いた真空状態の穴」、「虚の心情」なのである」と述べています。

 そして、「子どもたちが生きるためには、様々な技術がいる。数学ができることも、コンピューターをいじることも、車が運転できることも、確かに一つの生きる技術ではある。しかしその前段階がある。ある程度の長距離を歩けること、泳げること、暑さ寒さに耐えられること、火を燃やして調理できること、立ち続けられること、少しは重いものを持って歩けること、雨、出水、地震、大雪など外界の異変に対処する才覚があること、そしてその延長として、交通機関、水道、電気、橋、舗装道路などが失われた中で、生きられる技術がいるのだが、そうしたものは、ほとんどないに等しいのである。そしてこういう人間は、本質的に生きる資格がないと、いわれたことも考えたこともないのである」、と実態を指摘しています。

 これらは、人として生きる力といってもよいでしょう。生活する力を育てるためにも、自分自身は何ができるのかを知るためにも、実体験を重ねることです。これらすべては日常生活の領域で、大切であると指摘してきたことばかりです。お手伝いができる、部屋の整理整頓ができる、電話の対応ができる、人に親切にできる、感謝ができる。さらに、機械や技術等から自由になるなど。

 モンテッソーリがいう、宇宙的関連に気づくこと、個の尊厳を大切にすることによって、相手を尊重することの意味を考えてみることが大切でしょう。
人間関係の育て方を学ぶために、まず親子関係から、続いて友達関係へと発展させることで、無理なく進めてほしいものです。

 人間として、自由と規律の中での生活をすること。人間は社会的動物であり、文明を享受して生きる知的存在であることを思い起こすこと。それはつまり、原点に戻って考えることが必要だということだと思います。

 今後も、社会システムは高度な進化を続けるでしょう。過剰適応が、やがては甚だしい不適応につながることは、これまでの生物の歴史を見れば明らかです。前者のわだちを踏むことのないようにしたいものです