家庭でもできるモンテッソーリ教育

科学者で医者であったモンテッソーリは、新しい方法を見出した。教育に革命を起こした。それは、①受身的では学べない。②人生最初の6年間に最も多くのことを学ぶ。自分自身の知性、人生における態度、人生における展望、価値観を作り上げる。6年間の後でも学ぶことができ、多くの蓄積・経験をするが、6年間の基盤にもとづくものである。

 両親が子どもにとって先生であることがわかるだろう。一番影響を受けるのは両親からであるから。

 どのように子どもが学ぶかを理解することは難しい。大人は、遠い昔のことで、覚えていない。人間の発達は不思議、魅惑的である。モンテッソーリは、子どもが、どのように学ぶのか ―― 知性を、運動の調整を,話すことを、振舞うことを、理解をするのかを、研究した。

 モンテッソーリは、子どもには特別のエネルギーがある。それは、大人のエネルギーとは全く違うと言っている。子どもというのは、常に活動的でいたいので、大人には理解するのが難しい。それは、子どもは自分で経験して初めて学ぶことができる。子どもというのは活動的なときに幸せを感じる。唯一、静かにしている時は寝ている時、子どもにとって静かにしていることは有り得ない。

 では、どのように学んでいくか?どのように6歳児の持っている知識・能力を獲得するのか?

 モンテッソーリは、どのように子どもが学ぶかを手助けしてくれる内なるものがあると言っている。子どもは自然から与えられた特別のもの、吸収する精神がある。この「吸収する精神」というのは、子どもが誕生の時から受ける全てを取り込む能力である。全ての感覚的印象が、全ての知性を作り上げる構成要素になる。

 私達はどんな経験を子どもに提供しているか?人生の美しさを見せているか? 言語の美しさ、音楽の美しさ、美しい詩を見せているか?全ての感覚的印象が子どもの印象となる。又、子どもによい経験を提供しているか? 私達が触れているものを子どもに経験させていることになる。

 3歳までの子どもは、自分の学んだことの記憶がない。しかし、学んだことに反応する。例えば、すべての生命ある物を尊敬しているか(虫に対しどうしているか?)、私たちの態度を吸収している。子どもは見たものを内在化し、自分のものとしていく。子どもは、美しいものを人生に取り込もうとする。人生というのはつらいもの、世界中で悲惨なニュースを耳にする。しかし、家庭には美しいものを取り込むよう努力しましょう。それを幼い子どもは吸収している。
 
 子どもが3歳くらいになると、次の段階に進む。この頃の子どもは、実際の生活に参加する必要がある。見るだけ、聴くだけでは満足しない。3~6歳の子どもが必要とすることは、近くにいること、そして一緒に活動することである。しかし、これを認識していないと、子どもに高価なものを買って、これと遊んでいなさいと子どもを送り出すことになる。しかし、子どもが本当に望んでいること、必要なことは、家事の手伝いを準備することである。皆さんがやるすべてのことをやるのが大好きです。掃除をしたり、床を掃いたり、庭の手入れを学びたい。それが現実であるから、それにより人間を構築していく。そして、実際の生活とつながることができる。

 次に私達がするべきことは、やり方を見せてやることです。子どもには経験もないので、まず私達がやり、子どもの番になる。どんなことでもこうしたらよい。
これは、大人側からの忍耐、理解が必要になる。子どもは上手ではないから、練習する必要がある。初めは、子どものやる事は不完全かもしれないが、上手くやることに焦点をあてないこと。できないときは、正しいことを再び示す。こうすれば、子どもは感謝と喜びを持つでしょう!

 決して、批判をしてはいけない。高価な玩具を買うより、子どもがお仕事として容易に扱えるものを買ってあげて下さい。例えば、小さなホウキ、ボール、テーブルなど。子どもが容易に扱えるものを買ってあげて下さい。

 やり方を見せるときには、ゆっくりすること(正確な動き・上品な動きに重きを置くこと)。早いとついていけない。つらつら説明するとそっちに気が行き、困惑してしまう。

 子どもは、皆さんの援助により、自分自身で何かをすることを身につけていく。しかし、子どもがキュウリを切れたところで、何の子どもの助けになるだろうか?もっと大きくなってから学べばよいと思うかもしれない。それは、単に技術を身に付けるのみでなく重要な意味がある。「何かを独りでできるようになる」ことにより、幸せを、自分に対する自信、自己肯定感を得る。自分自身に対し、よく思うことにより、強く健全な自我を持つようになる。これは、人生における最もよい準備になるのではないだろうか。

 自分に自信があれば、一生懸命学ぶことができ、新しい経験を恐れない。それは幸せな人生につながっている。困難に出会っても乗り越えられるのではないだろうか。

 もう一つ重要なことは、子どもの中に自立への必要性、つまり「独りでしたい」という強い衝動があることである。この自立というのは長い時間がかかる。誕生の瞬間から発達が始まり24歳までかかる。

 大人というのは子どもの能力を過小評価しすぎる。私たちの仕事は、子どもが何ができるかを知り、適切な援助・どんな道具が要るか・どのようにするかを考え、励ますことである。援助はしすぎてはいけない。例えば、1歳の子どもが歩き始めの頃、少し離れたところで受けとめられるようにする。そして、私達は、子どもがずっと自立への階段を踏んでいく準備をしなくてはいけない。これは、時々大人にとっては難しい。赤ちゃんでいて欲しい、無力で必要とされる存在でいて欲しいと思う。しかし、これは私たちの必要性であり、子どもの必要性ではない。やがて子どもは大人になっていくのであるから。子どもは自立への発達が必要になっていく。

 学ぶことは時間がかかる。自然のプロセスは時間がかかる。植物が伸びるのと同じで、引っ張っても伸びない。根が出てしまうだけである。子どもの自然にたどる発達を尊重しなくてはいけない。強いる、急かすようなことをしてはいけない。

 モンテッソーリは、子どもの必要性について言っている。自立の必要性、そしてコミュニケーションをとることも必要性である。子どもがどのように言語を獲得するかは驚くべき科学であり、子どもは天才である。子どもは実際に話ができる前に、長い間聴く必要がある。長い間聴き、内在化し、話せるようになる。

 大人は、話せるようになってから会話をしようと考える。生まれた瞬間から、よくこの世界に生まれてきました、愛しています、幸せに思いますよ、と話しかけないといけない。赤ちゃんであっても黙ってオムツを換えたりしないこと。知性を持った独りの人間である。「ちょっとオムツがぬれているかどうか抱き上げましょう。」「おむつ台まで行きましょう。」「オムツを取りましょう。」「新しい乾いているオムツを持ってきました。」「気持ちが好くなったでしょう。」など。又窓の所に行き、外を見て、「雨が降っていますね。」「全ての植物が水をもらっていますね。」‥‥こうした会話が、赤ん坊が話す前にする会話である。そして、美しい完全な文章で話しかけなくてはいけない。

 また、初めの段階からすばらしいものを読んでやって下さい。子どもは歌を聴くことも大好きです。もう一つ言語の発達によいのは、物の名前を言う、身の回りの物の正しい名前を使うということである。環境の中にあるすべての物の名前を与えましょう。

 しかし、コンピューター(テレビ等を含む)から学ぶことは決してない。コンピューターは、年齢の高い子どもが調べ物をするのには便利であるが、幼い子どもにとっては学ぶ道具にはなりえない。

 皆さんの仕事は、人間が自分自身を創造している過程における人間を援助しているのである。これ以上重要な仕事は無い。皆さんの努力、忍耐、理解によって次の世代の準備をしているのです。よりよい世界をすべての人が望んだら、両親こそが敬意を表されるべきです。