21世紀の平和教育について(シルバーナ・モンタナーロ先生の講演より)
「教育は平和の武器なり」
「戦争を避けるのは政治の仕事、平和を建設するのは教育の仕事」
肉体化された行動パターンは生涯続く。「三つ子の魂百まで」この言葉を気に入っている。子どもは三歳になるまでに基本的形を作り出している。
平和問題について8つ取り上げる。この星の平和に向かって貢献していきたい。
- 平和問題を中心に人類最高の力を結集しないといけない。
- 様々な情報・知識を集めるだけではなく、知性を高めていかなければならない。
→ 平和に対して、より高い次元の思いを持たないといけない。 - 居場所を問わず幅の広い帰属意識 ―「世界市民」としての意識になること。
- 宇宙の無類の知識を使って平和問題に挑むこと。
- 出産をひかえた夫婦が準備し、出産以前より良い準備をしないといけない。
- 自分たちの時代を研究することが大切である。→「平和学」
- 乳幼児問題を担当する大臣が必要である。
- 様々な生命が織りなす宇宙的広がりを知ること。
偉大な考えが人々の考えの一部になるには時間がかかる。今、私たちは何ができるかを考えよう。
1932年、ジュネーブにおけるモンテッソーリ会議で、モンテッソーリは、戦争による学問は発達しているのに平和に対する学問は発達していない、ということに触れている。これは大切なことである。人類が発展するか滅亡するかが掛かっている。「なぜ戦争が起こるのか」を深く考えては来なかったことが不思議である。自然エネルギーを支配してきたにもかかわらず、私達自身の中にあるエネルギーを支配しようとはしなかった。
平和は戦争の終わりを意味するのではない。平和とは何を指すのか?モンテッソーリの定義では「正義が勝っている人間同士の愛、より良き調和である。」一歩前に踏み出し、どうして戦争が続くのか理解しないといけない。注意を向けて、何かモラル的に違ったものを持っているかを見つけないといけない。ワクチンを発見した人と爆薬を発見した人とを同じように讃える誤りを持っている。自分自身が問題の一部を形成しているのだという認識を持って問題に立ち向かうこと。
家庭の中でさえ、平和を維持することが難しいことがわかる。内的な問題に取り組んでいくこと。争いが様々なレベルで行われている。以前、病気がなぜ起こるかについても間違った考えをしていた。ウイルスが発見される前は、悪い人が病気をまき散らすと考えていた。身体的にふさわしくない状況 ― 衛生面・食事面で良くないことが多々あった。今日、身体衛生面では簡単に良くなった。
出発点はどこか?モンテッソーリは、人類の精神発達のために、子どもに立ち返らないといけないと言っている。モンテッソーリは、子どもの精神の特徴を見出した。また、本質的なひどいものも発見した。それは、誕生と同時に私達の家庭で始まり、子どもの成長期間を通して行われる。強者と弱者の戦いである。人類は未だ子どもの本質を理解していない。大人と子どもの間に衝突が起こる。親も教師も良かれと思っていることが、終わり無き戦いになる。原因は、子どもを大人の縮小版として見てしまうことである。
子どもは、成熟した人間とは全く別の物である。子どもは建設している労働者である。大人のリズムとは全く違うリズムとして行われ、全く違う特徴がある。それは、モンテッソーリのいう「精神的胎児」の仕事である。妊娠中は「身体的胎児」の仕事であり、人間として身体的特徴を全て具える発達を遂げる。それは如何に神秘的なことか!
単細胞より始まり、身体的胎児の仕事をし、誕生と同時にもう一つ精神的胎児の仕事を始める。故に、出産直後の子どもは、細かい慎重な世話を必要とする。内なる法則に導かれる子どもの成長には、最大限の保護を要する。それなのに大人は、内なる発達を全く理解していない。子どもの精神の内で、如何なる変化が行われているかを見ることができないのである。
大人の、子どもを理解しない取扱いにより、子どもは脱線発育をしてしまう。そしてそれは、生涯続いてしまう。精神的病理は誤った教育から生まれるのである。現在行われている教育は、誤ったものを正そうとする教育である。大人と子どもの間の戦争 ― 強者と弱者の戦争。それに教育という名が付けられている。親も教師も、子どもに良かれと思ってやっていることではあるが。
「子どもとは、如何なる存在であるか」について、新しいビジョンを生み出すことが大切である。環境が変われば、子どもは本来の姿を取り戻すであろう。私達は、紛争・戦争は人間の本能から来ていると考えがちだが、後天的なもの、誤った取扱いから来ているものである。
モンテッソーリ環境における子どもの姿とは、どんなものであるか。「子どもの家」では、貧しい国、様々な国においても、正しい環境に置かれた子どもは、平和的で調和的である。高貴な自尊心を持っている。命を守ろうとしている。他人に対して友愛な気持ちを持ち、紛争によって問題を解決しようとはしない。知恵によって解決しようとする。博愛の情とは、東洋の思想に近いものである。離れた別個のものは、宇宙で夫々が一員の役割を持つと考える。そして、精神的にも健全な人間に育つ。
人生の最初より、モンテッソーリの自由(制限のある自由を示す)を与えられなかった人は、大人になってからもしっかりとした意見を持たず、それを守り抜こうとはしない。競争下に置かれると、紛争をしないといけないという考えになる。クラスメートでさえ戦争の相手になる。
子ども達が、協調的・融和的な環境の中で育てば、大人になってもそうである。協調的とは、話し合いによる解決であり、相違性を考え皆のために良いように努力するようになる。
今、人類は英知と創造性を糧に、空を飛び、また遠くの人と話をすることができるようになった。人類は歴史の転換点に差しかかろうとしている。