こどもの「こだわり」について

パパが何気なくいつもと違う椅子に座ると、「ちがう。パパはここ!」と叫んだり、ママが公園に行くのにパパのポシェットをちょっとだけ拝借してきたら泣いて怒ったり、お風呂でママはいつも頭から洗ってくれるのに、パパは身体から洗ったと大騒ぎをしたり、たいしたことでもないのに頑として聞き入れず大人を困らせることがあるでしょう。

 こんな不可解なこだわりで大人の生活のリズムが妨げられると、「そんなことどうでもいいでしょ!」「どうしてそんなに強情なの!」と怒り心頭に達することさえあります。

 この奇妙なこだわりは、1歳頃から3歳頃までに強く現れる「秩序感」という特別の感受性です。いつもの場所、いつもの方向、いつも行なう順序、など、子どもはいつもと変わらないことを望みます。それは自分をとりまく環境とその諸関係を覚え、世界における自分の位置づけがわかるためです。それが分かっている環境では、子どもはまごつかないで、動いて、目的物に達することができるのです。

 子供にとって秩序とは、物のあり場所や順序や所有物などが定まっていることで、そこでは目をふさいでも歩きまわれるし、必要な物がすぐ見つかります。子どもは、身の回りの勝手が、細かいところまでかっていなければ安定を得られません。だから子どもにとって秩序とは、家を建てる地盤か、魚がその中で泳ぐ水に相当するのです。(中略)

 まるで体中に毛細血管があって、どこをつついても血が出るように、子どもの居場所も教材も棚も、あらゆるところに秩序感があるように配慮されているなら、子どもは心理的に落ち着き、意識して行動する人になります。

 秩序の敏感期に、秩序に守られた子どもは、堅固な土台をもつ建築物のように安定した人格を築くことができる、とモンテッソーリは言います。そして、秩序は、善そのものではないのですが、善に至るための不可欠の道であるから、人生の初期に現れる「秩序感」を大事にすることは生涯に影響を及ぼすほど大事なことだとも言います。
         
「親子が輝くモンテッソーリのメッセージ」相良敦子著 より